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出産の記録

◆分娩室Report(9/12)◆

分娩室の記録は、さすがにメモを取っていたわけではないので、出産後に思い出しながら書いたメモから転記しています。(一部、時間をあとから確認したりもしています。)分娩室に移動するときには、すでに気力も体力も使い果たしていたので、意識は朦朧としているし、時間の感覚はないしで、あまり鮮明には記憶していないのです・・・。
(写真はまさに誕生の瞬間!)




4:20 ほとほと疲れ果て有効な陣痛もこないまま分娩室に移動し、分娩台の体勢を試したり(最新の分娩台で、いろいろな調整ができる)、立ちあがって分娩台につかまって、またフラフープ運動をしようとしたりしていたが、体力を少しでも残しておかないと、ということで分娩台で横になる。夕方にきていた短い間隔の強い陣痛はとっくにどこかに行ってしまっていて、多分、分娩室に入った時にはもう5分くらいは間隔があいてしまっていたように思う。こんなんで産めるのかなぁ、ととても弱気になっていた。
4:40 まだ破水はしていなかったので、破水させてみることに。破水によって、勢いがつくこともあるとのこと。
この頃には、わたしはもちろん、ずっと付き添ってくれているだんなや助産婦のHさんもかなり疲れて、眠くて、大変で、ぐったりしていた。気力もない。産まれる気がしない。どうとでもなれ、と言う感じだった。
朦朧とする中、少しの間うとうとしたような気がする。途中、だんなはさすがにダウンして、個室のわたしのベッドで寝ていたんじゃなかったかな?
5:00 一応、子宮口全開。でも、強い収縮がなかなか来ないので、いきみたい欲求もぜんぜんない・・・。
となりでは経産婦さんが出産。初産でないとは言っても、やはりお産は慣れるというようなことはないんだなぁ。とてもつらそうで、いろいろ叫び声が聞こえてきていた。そのうち、赤ちゃんの泣き声が聞こえると、またもらい泣き(?)してしまった。
7:30頃 結局朝7:00頃まで、深呼吸でやり過ごせるような軽い陣痛しか来ないまま、どよーんとした空気の中、時間を過ごす。
そんな頃、隣の出産も一段落し、婦長さんをはじめ朝の勤務の助産婦さんも続々出勤してきて、深夜と朝の勤務の助産婦さんたちに囲まれて、乳首マッサージをして刺激したり、赤ちゃんが後戻りしないようお腹を抑えてくれたりしてくれる。O先生も登場して、点滴追加の指示を出された。4本目に突入だ。 O先生がこの様子を見て「吸引かなぁ」とつぶやいていたのをわたしは聞き逃さなかったけど、もうこうなったら、吸引でもなんでもござれ。当初の希望である、「できるだけ自然に産みたい、主体的に産みたい」なんていうのはどこかに飛んでいって、「どうにかして産ませてください。」と開き直っていた。
たくさんの助産婦さんに囲まれて、励まされて、、、でも、疲れきって陣痛のほとんど来ないわたしはすっかり弱気になって、弱音しか吐けない・・・。どよんとした長い時間が流れて、わたしの意識も朦朧として、どんどん弱気になっていって、わけがわからなくなって、「どうしたらいいの〜・・・。こんなんじゃ赤ちゃんが産めないよ。。。」と泣きながらやけになって叫んでしまったことをおぼろげながら覚えている。
この時、点滴をしつつも陣痛は7,8分の間隔で、収縮も弱く、収縮の時間もとても短かった。
11:00頃 排臨。
あたまがちょっと見えるよ。と言われて、だんなが下のほうに覗きに行く。
髪の毛に触れるよと言われて、わたしも触ってみるが、なんだかよくわからない・・・。
でも、こんなに緩やかな陣痛でも、少しずつ少しずつ進んでいることに、ちょっとだけ明るい兆しが差し込んだ。
しかし、頭が出てる状態から帝王切開なんかはできっこないだろうから、もうどうにかしてここから出すしかないわけだ。ヨワーイ陣痛の波が来るたびに、なんとかして産もうと一生懸命いきんだ。いきみを我慢できないとかっていうのではないから、本当にどんな風にいきんでいいのかがわからなかったけど、婦長さんがお腹の上に手を置いてくれていて、その手を腹圧で上に押すような気持ちでいきんだらいいよ、とアドバイスをしてくださって、どうにかうまくいきめたように思う。
途中、赤ちゃんの心音が弱くなってきたので、酸素マスクをした。わたしが深い腹式呼吸をすると少し持ち直す、そんな繰り返しが続いた。
11:30 発露。
頭が出た!深夜勤務の助産婦さんも残業(?)して付き添ってくれていたので、たくさんの助産婦さんがみんなで「ふー、ふー」といきまないように、呼吸をするようリードしてくれる。わたしも真似して「ふー、ふー」。でも、思わずいきんでしまうという感じはなく、股に挟まってる・・・という感覚しかなかった。とても冷静だった。
11:41 「もう生まれるよ〜。」「もう少しだよ、がんばって!」「はい、少しだけいきんで」・・・
助産婦さん達のかけ声の中、産まれた・・・・・・。やっとで・・・。
でも、すぐに産声を上げなかったのが心配で、喜ぶより先に「赤ちゃん、泣いてないよ!」と叫んでしまった。
破水してからもずいぶん時間が経ち、羊水は黄色くにごってしまっていたが、赤ちゃんも少しその羊水を飲んでいたようで、産声を上げられなかったようだ。臍の緒を切ってすぐに女医のH先生が赤ちゃんの鼻(口?)から飲み込んでいた水を出してくれて(わたしは見えなかったんだけど、だんなが見てた)、「ふぇ〜、ふぇ〜。」と泣き声が聞こえてきた。
もう、うれしくて、うれしくて、うれしくて・・・。涙がいっぱい、いっぱい出た。
冗談じゃなく、もう産まれないのではと思っていたのだ。
だけど、結局吸引もしないで、たまに話を聞くようにおなかの上に乗られてぐいぐい押されるわけでもなく、促進剤の力は借りたもののゆっくりゆっくりだけど自分でいきんで赤ちゃんと力を合わせて、産んだのだ。
見ると、だんなも目を真っ赤にしている。昨夜からずっと一緒に頑張ってくれて、娘をとりあげてくれたHさんも目に涙を浮かべていた。
今まで生きてきて、最高に神秘的で、最高に幸せな瞬間だった。
さっきまで、あんなにブルーで疲れ果てて弱音を吐いていたのも忘れて、とたんにハイになるくらい、幸せだった。
お腹のなかにいるのは、どんな動物だろう、と思っていたんだけど、こんなに可愛い女の子が入っていたのか・・・。本当に、とっても、とってもうれしかった。
娘の体重を計って健康状態を検査したりしたあとは、分娩台に横たわって会陰縫合をされているわたしの隣に連れてきてもらって、縫合中はずっと一緒にさせてもらった。
会陰は、自然にちょっと(?)裂けたみたい。内部の方も少し切れていたらしい。糸は抜糸しなくてもとける糸を使うとのこと。O先生に何針縫いますか?と聞いたら、「一筆書きみたいなものだから、何針というのはむずかしいね」とはぐらかされてしまった。
娘も一緒でとてもハイになっている私は、会陰縫合をしてくださっている先生に、「土谷病院で産んでよかった」、「とても満足している」、「でもこの病院は朝食があまりよくない」、「O先生は、妊婦検診のエコーのときにもう少しモニターを見せて説明をしてくれたらもっといい先生だと思う」などなどと、次から次へと喋りまくり「あれだけ大変だったのに元気だねぇ」とあきれられた。
? 会陰縫合のあとしばらく分娩室で安静にしているのだが、この時間に産まれてすぐにおっぱいをあげたいという希望もかなえられた。娘は、はじめて乳首を口に含んで、不器用だけどどうにかちゅっちゅく吸い付いていた。とってもうれしくて、不思議な感覚だった。時間が来ると、ストレッチャーで病室まで運んでもらったが、分娩台からストレッチャーに水平に20cmほど移動することも自分ではできないくらい疲労していたことに、そのときはじめて気が付いた。

そうそう。だんなは、本当は今日こそは出張にいかなければならないはずだったんだけど、大雨のため新幹線が不通になり、都合よく出張に行けなくなったのだ。おかげで、とっても素晴らしい誕生の瞬間を共有することができた。神様、どうもありがとう!
それにしてもほとんど眠らずにずっと付き添って、わたしの手を握り、汗を拭いてくれて、本当にいてくれてよかった。どうもありがとう。惚れ直したよ。
義父と義母は、わたしが分娩室に入った朝の4時過ぎに病院に駆けつけて、分娩室の外の椅子に腰掛けて、生まれるまでずっと待っていてくれた(義母は途中分娩室に応援にも来てくれたような気がする。)ので、なんと7時間くらいも待ってもらったことになる。本当に、お待たせしました。